1:
8月の頭頃、住んでいる街で長いこと愛されている小さな定食屋に行った。その日はちょうど大阪府知事が「うがい薬がコロナの重症化防止になる」と発表し、テレビやインターネットで話題を呼んだ夜だった。
定食屋に入ると、地元住民であろう客が3人とお店の人が2人、すでに見知った関係のように話していた。私以外は皆年齢は50代以上、平均して60代後半くらいのように見えた。備え付けられたテレビが、バラエティを放送する直前のニュースを流していた。
「うがい薬がコロナに効くらしいよ」
「早く買わなきゃ売り切れてしまうよねえ」
「明日にはもうないんじゃないの?」
……この会話を耳にしながら、私は何も言い出すことができなかった。
自分がその日得ていたうがい薬に関する情報は、彼らと全く違う受け取り方をしていたのに。
「うがい薬をPCR検査の直前にしたら、陽性にならないというのは当然である。口内の菌を減らしてから検査したら、確率は下がる。」
「うがい薬は常用することで甲状腺の働きを弱め、疾患を引き起こす可能性がある。塩水でうがいする方がよい。」
「マスコミが伝えた情報で、またドラッグストアが大変なことになっている」
その日のTwitterはうがい薬に関する多くの情報が出回っていた。
私は、政治からカルチャーまで、多くの情報はTwitterによって収集している。日々なんとなくTwitterのタイムラインを眺めていると、自然に「何が話題になっているのか」がはいってくる。うがい薬の話題は、まさにその日Twitterを席巻していた。いやでも情報が入ってきたし、多くの人の意見を見ることで、自分には必要ないし、ほとんどデマのようなものだな…とスルーしかけていたからだ。
しかしながら、定食屋にいた人たちはどうだろうか。彼らはどこから情報を手にしているだろう。スマートフォンやパソコンを使いこなしているのだろうか。
あの日私は、一人だけ余所者のような気持ちで、うがい薬について話す彼らをみていた。
実は健康によくないかもしれない、買い占めに繋がるのでは、という不安を、運ばれてくる定食を前に飲み込むことしかできなかったのだ。
2:
現在26歳の私が小学生くらいだった2000年代頃は、情報を得る場所といったらテレビだった。新聞は、あったけれどわざわざ読んでいなかった。ラジオは、母が聞いていたが私は聞いていなかった。ニュースの選択肢といえば、朝に見るテレビ番組はどこの放送局にしようか…くらいしかなかった。
しかし、インターネットが急速に広まり始め、FacebookやYoutubeが日本でサービスを開始。中学生ぐらいのころはネット掲示板の2ちゃんねるは危ないからみてはいけない!という情報リテラシーの講義があったように思う。私は高校2年の時にTwitterに登録をし、大学生になってInstagramやLINEの時代がやってきた。
かつて世の中のほとんどの人がテレビを見、それを「マスメディア」と呼んでいた時代は、現在本当に「マス」の役割を果たしているのだろうか…と思うことが増えた。
そして、情報を受動的に流されるものを手に入れるのではなく、自らが能動的に取捨選択をしに行く時代に変わった…………かもしれないが、それは時代の変化にまあまあ適応できている者から見た価値観でしかないかもしれない。
3:
情報格差(デジタル・ディバイド)という言葉がある。インターネットの情報通信技術を利用できる者と、そうでない者との間にもたらされる格差のことである。先に挙げた定食屋での体験は、その一つの例であると実感した。
デジタル・ディバイドは、個人間から国家間まで、様々な範囲で存在して格差を引き起こしているが、今回は特にこのパンデミック渦における個人間の格差に注目したいと思う。
コロナウイルスという、未だ遭遇したことのなかった状況に、世界中が一斉に対処することとなった。
私の情報収集源のTwitterでも、日々新たな情報ー感染者数、行動の制限、医療機関のこと、政府の対応、海外の情報ーなど流れてくるありとあらゆる情報はコロナウイルスに関連するものだった。
誰もが関係する身近な情報は、「出来るだけ外出してはならない」というものだった。その知らせを受け、人々はみなある場所へ向かった。スーパーマーケットだ。
覚えているだろうか?仕事帰りのスーパーの混雑、長蛇の列を。おそらく日本中からトイレットペーパーがなくなったあの期間を。マスクもである。そして徐々に、パスタや小麦粉といった、保存のきく食材は売り切れるようになっていった。
私自身は、消費者のこの行動は、外出してはならないといった決まりに従った自然なものだと思っている。外に出るなと言われたら、出られない期間の分買い物をするのは当然であり、買い占めには当たらないと思う。
しかし、報道する媒体によっては、消費者の不安を過剰に煽るようなものも多かったように思う。本当は必要ないのに、トイレットペーパーをできるだけ買おうとしたり、買ったものを転売したり、そういった買い占めとされる行動はメディアによって引き起こされることもしばしあるように思う。
4:
パンデミックにより弊社スタッフは現在もリモートワークを続けている。
オンラインで会議や打ち合わせが行われるようになり、以前より働きやすくなったような印象も覚えている。
また、学校(特に大学)ではオンラインで講義を受けられるように続けたところも多かったようだ。
オンラインで続けることの意義や便利さは確かにあり、最初にその話を聞いた時にはいいじゃん!と思った。未来の教育のあり方として、デジタル媒体をより浸透させようという考えは実際に存在しており、新たな一歩に繋がると思ったからだ。
しかしながら、オンライン授業を受ける立場に立った時に、全員が快適なネット回線を持ち、授業を受けるのに必要なデバイス(パソコンやタブレットなど)を持っている状況が整っていることが前提だと気づかされるのだ。
一人一人がアクセスできる情報に違いが生まれる、まさしく情報格差である。そしてこれは経済格差との関わりも関係している。収入の低い世帯ほどインターネットの利用率は低くなり、インターネット使用媒体所持数も抑えられているとのことだ。
5:
インターネットにアクセスできるか否かと同時に、情報の取捨選択も大きな課題である。冒頭で私が主に使用しているメディアはTwitterだと述べたが、Twitterは必ずしも情報収拾に良いメディアであるとは限らない、ということも伝えておきたい。自分が気になる・共感できる視点やテーマを多く取り込みがちで、反対側からの視点や興味のない分野は意識して収集しないと流れてしまう。フォローする段階で情報の取捨選択をしているようで、実は受動的だったりするのだ。
今回の記事を書くにあたって、どんな媒体からニュースなどの情報を得ているか同僚に聞いたところ、ニュースピックス、YouTube、ラジオ、新聞(紙/オンライン)、ネット配信TVなどの回答をもらった。気付いたのは、ラジオや新聞、テレビなどはすでにそれぞれインターネット上でも配信していることが多いということだ。多くのメディアがインターネットと密接に関わりを持っている。
パンデミックによって自分の肉体が移動できない分、インターネットを用いたイベントなどがたくさん企画されている。これからの未来がどうなってゆくかは簡単に予想できないが、インターネットと私たちの生活が離れてゆくことはまず考えられない。現在問題となっている情報格差に加え、インターネットに付随したまた新たな格差が生まれる可能性も十分にある。
情報格差をたどってゆくと、経済格差に辿り着いたりと、一つの格差を解決するには他の要因が関わっていることは多い。
情報格差は、SDGsの「 10. 人や国の不平等をなくそう」に関わってくる。同時に、オンラインでの教育に着目するならば「4. 質の高い教育をみんなに」にも、経済格差ならば「1.貧困をなくそう」にも関わってくる。 「9.産業と技術革新の基盤をつくろう」「8. 働きがいも経済成長も」…これらも関わりそうである。
多くの問題が絡み合った現代社会で、私たちに何ができるかと答えを出すのは難しいが、自分とインターネット、情報との関わり方をもう一度見つめ直して取捨選択していきたい。
(齊藤)